【back number】水平線の歌詞がひどいと誤解される理由と人気の背景

【back number】水平線の歌詞がひどいと誤解される理由と人気の背景

スリーピースバンドback number(バックナンバー)は幅広い世代から支持されています。みなさんのなかにも、『高嶺の花子さん』や『瞬き』などの楽曲を聴いてファンになった人たちもいるはずです。

ところが、2020年8月18日に公開された『水平線』には「ひどい」という単語が検索関連ワードとして紐づいており、捉え方の違いが露骨な形容詞に現れています。言葉の意味は解釈する人間の世界観によって変化するものの、そこには、一体どのような背景があるのでしょうか?

この記事では、back numberが制作した『水平線』の歌詞がひどいと誤解される3つの理由について考察していきます。彼らが『水平線』という楽曲を世に送り出した想いにも触れているので、参考にしてみてください。

目次

水平線の歌詞がひどいと誤解される理由

さて、水平線の歌詞について「ひどい」と検索する人たちがいるのは、どうしてなのでしょうか?

結論から言えば、「人々の喜びと悲しみがトレードオフの関係にある」という残酷な現実を描写していることから救いようのないイメージが想起されるからであると考えられます。

実際に、歌詞の一部を抜粋して読んでみましょう。

水平線が光る朝に 
あなたの希望が崩れ落ちて 
風に飛ばされる欠片に
誰かが綺麗と呟いてる

back numberの『水平線』より抜粋

透き通るほど淡い夜に
あなたの夢がひとつ叶って
歓声と拍手の中に
誰かの悲鳴が隠れている

back numberの『水平線』より抜粋

たしかに、文章をそのまま受け取れば、「だれかの希望」と「だれかの絶望」が表裏一体になっているかのような印象を受ける気がします。日常生活のなかで自分の不幸がきっかけで他人が幸せそうにしていたら、嫌悪感を抱くのも無理はありません。その意味では、「ひどい」と検索する人の気持ちも理解できます。

back numberが水平線を制作した背景

けれども、back numberが『水平線』を制作したのは、私たちが生きている世界の残酷さを闇雲に伝えたかったからではないと考えられます。

実のところ、『水平線』が生まれたのは、2020年に新型コロナウイルスの影響でインターハイ(全国高等学校総合体育大会)が史上初めての中止になり、それまで開催に向けて準備に勤んできた20人の高校生たちから手紙が届いたことがきっかけでした。

その年、インターハイの開催県は地元の群馬県であり、開会式には「ポカリスエットイオンウォーター」のCMソング「SISTER」が演奏される予定でした。back numberの清水依与吏さんも学生時代に陸上競技でインターハイを目指すスポーツマンだったことから、何か出来ないかと急遽制作したのが『水平線』だったのです。

『水平線』はインターハイの開会式が行われる予定だった2020年8月18日に公開されました。そのときに、清水さんは自身の想いを次のように綴っています。

2020.08.18 TOPICS

費やし重ねてきたものを発揮する場所を失くす事は、

仕方ないから、とか、悲しいのは自分だけじゃないから、

などの言葉で到底納得出来るものではありません。

選手達と運営の生徒達に向け、何か出来る事はないかと相談を受けた時、

長い時間自分達の中にあるモヤモヤの正体と、これから何をすべきなのかが分かった気がしました。

先人としてなのか大人としてなのか

野暮な台詞を探してしまいますが、

俺たちはバンドマンなので

慰めでも励ましでも無く音楽を

ここに置いておきます。

清水依与吏(back number)

universal music japan公式HP「新曲『水平線』公開」より引用(最終確認日:2023年3月2日)

水平性が人気の背景

back numberの『水平線』は、YouTubeで公開されている楽曲の中でも群を抜いて再生されています。2023年3月2日現在、再生総数は1億8000万回を超えています。

これだけでも圧倒的な影響力と人気を誇っている歌であると言えます。コメント欄を見ても、心から励まされた人たちの声に溢れています。改めて、どうして『水平線』が人々を魅了する名曲となったのでしょうか?

一概には言えませんが、その答えは、『水平線』が悲しみを悲しみのまま誠実に描き出すことで悲嘆に暮れる人たちの心を置いていくことなく、最後まで寄り添い続ける音楽になったことにあるのではないでしょうか

私たちは筆舌に尽くせぬ絶望を味わったとき、「どうして自分がこのような理不尽に見舞われるのか?」という行き場のない怒りにも似た苦しみを感じます。そのときに、自分とは正反対にいるポジティブな人から一方的な希望を説かれても、心はついていきません。

ましてや、非現実的な絵空事で無理やり気持ちを誤魔化そうとしても、後からしっぺ返しをくらって余計に落ち込んでしまうおそれがあります。

もちろん、思い悩んでいても問題が解決するわけではありません。しかしながら、深いトンネルの中にいるような悲しみの渦中にいるときに必要なのは同じ苦しみを分かち合ってくれる存在であり、解決策の提示では必ずしもないのです。

だからこそ『水平線』は安易にエールを贈るのではなく、醜いけれども現実として存在する人間の不条理に自らも戸惑いながらも、長い年月をかけながらゆっくりと悲哀が自らの糧になる未来を願い、生き続ける寄り添いの歌になったのではないでしょうか。

改めて聴いてほしい

歌詞を読んで「ひどい」と感じた人たちには、改めてback numberが向き合った悲しみの渦中にいる高校生たちの気持ちを想像しながら、『水平線』を聴いてほしい。無論、最終的な好き嫌いは個人の自由です。「正しい」解釈なんてものが存在するとは思いません。

けれども、彼らが最初の歌詞に綴ったこの一節からは、苦難に直面する人と向き合う覚悟を感じてなりません。

出来るだけ嘘は無いように
どんな時も優しくあれるように
人が痛みを感じた時には
自分の事のように思えるように
正しさを別の正しさで
失くす悲しみにも出会うけれど

back numberの『水平線』より抜粋

嘘をつかずに優しくなるのは難しいことです。他人の苦しみを綺麗な言葉で偽らないように、ありのまま描き出すには勇気が必要です。その葛藤を通じて制作された『水平線』の音楽は、聴いている人と同じ側に立って、「哀」を叫んでくれているからこそ、人々の心を癒し続けるのかもしれません。

【back number】水平線の歌詞がひどいと誤解される理由と人気の背景

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